月別アーカイブ: 2015年2月

ミカドのフリプに行ってきました

帰宅後すぐに書こうとしたのですが。

なんとか体調も回復し、今の仕事として最後の谷間に入ったので、日曜日はいつも通り猟団メンバーと狩りをしていたのですが、ボイチャで「今日はミカドのフリプだよー」と言っていたので自分も行くことに。
出発直前に別途行こうとしていたクラブイベントがあった事を思い出したけど、結局ミカドとりました。お誕生日リリパおめでとうございました。

というわけでミカド。
先ずは落ち合ってワースタ。ライオンズ…ではなくライオネルズ、マジ強いっすわ。
そのままホームランに挑戦。自キャラではなく相手キャラ選ぶとか斬新や…

エヌアイン。ちょっとだけあったアカツキの知識でアカツキ動かしてスコスコわからん殺しされておしまい。制作著作NHK。
身内とだけのプレイでいいわ…

天外魔境真伝。すごくやりこんだし好きなゲームなのだけど、対戦難しすぎると言うか何度見ても綱手が壊れてる。力王と不動は削除やろ。あと誰だ崩し少ないとか言ってるやつ。こいつに限らずやりこんだであろう人にスコスコにされておしまい制作著作NHK。
こっちも王狼斬でこかしてアイテムをひたすら切りまくる一人プレイと身内対戦に帰ります。いや身内対戦チャンスなんて数年前のやつ以外にありえるとも思えないが。

燃えジャス。ブランクを回復させる適度なプレイ。でもまだ投げ方知らないからスコスコです。刺し合いの択とキャラ対策も足りないけど、適当に流しつつ覚えればいいや。

武力ONE。今回最高の収穫と言っていい。身内の使っているキャラへの対策を上手い人に聞いたら凄まじいまでのワンパで勝てる事が発覚(読み合いはある)。裏択2割は使える事だけアピールしつつ暴虐を振り回すだけで良いなんて…なお裏択はまだ使えない模様(振れるけど派生とか全く理解してない)。
元々使おうと思っていたキャラなので、まずはこいつ覚えてから次に行こう。

他。どのゲームも上手い人同士のを見てて楽しかったけど、入り込み辛い(フリプなのでスコスコにされるだけならできるが)中、初心者向けへの解説がしっかりしてるゲームもあって格差とか成熟度の違いがあるのかなあとか。僕は上手いと言えるゲームも無いのでエンジョイ勢ですが、最低限の読み合いが出来ればスコスコにされるまでゲームになるからいいと思うます。昔のゲームは近年の作品に比べて、システムの難解さとか操作の忙しさとかがだいぶ優しい(バグ利用とかで跳ね上がる例外はあるが…)のでとっつきはそこまできつくない気がするのだけどさて。

またあれば行きたいと思います。運営に携わった有志の皆様に感謝しつつ。

復活の兆し

一ヶ月間ほぼ禁酒の上で土日のイベントもお休み、ゲーセンすら自粛していました。

まだ不調のままなのですが、少しずつ活動再開というか、本年の活動を開始したいと思います。

以下、1月にやったことまとめ。いやほぼ病院とベッドと仕事ですがそれ以外で。

体調悪化の前に幻想郷フォーラムに申し込んでいたらしく、参加サークルリストに名前があることに気づいたのがおとといの日曜日。偶然検索に引っかかって見てなかったら自分でも完全に忘れてた、というか記憶になく…
参加宣言は帰宅後に独立記事で改めて。

ずっと声をかけてもらってたレイヤーの対戦会のラスト30分だけゲーセン行きましたが、COJやぷよクエを始めとした別ゲーは結局触ってません…うーん。イベント不参加でそのまま引退か凍結が見える流れ。

唯一土日引きこもってプレイし、仕事も不調を言い訳に定時ガン逃げしては少しずつ進めてたモンハンの成果

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一応SR卒業装備は出来た。
箱鯖で遊んでいる人居たら誘ってください。

萃夢想の話その2

この前歴史として覚えていることをまとめたのですが、それは東方史の観点からの観測内容から萃夢想部分を抜粋しただけなので、純粋に萃夢想としての過去話を書いておこうと思います。
ただし、自分がやったことは不自然にならない程度にぼかします。自分を過去で語り出したら末期です。老害です。まぁ今でも十分老害ですが。

10:千葉で萃夢想オフをする連盟

オフ大会というものを最初に考えさせてくれたのは、確か千葉勢だったと記憶しています。というのも、最初の萃夢想の(大会といえる規模の)オフ大会は”Project Outside of Human”さんが開催した大会が最初だったと思うのですが、「黄昏フロンティアの同人ゲームとして」「それまで開催していたEFZと平行して」という観点で萃夢想勢の集まりとしてはまだ弱い(同ソ勢・黄昏勢の延長線上)状態だったと思っています。
そんな折、千葉在住のプレイヤーさんが所謂全泊・後泊つきのオフをしてくれていたことは、当時関東のはずれ(地元民曰く「関東とは名ばかりの南東北地方」)に住んでいた自分にはとてもありがたいことでして。もちろん千葉の人だけではなかったのですが、萃夢想勢といえば千葉オフという風潮が早くから生まれた気がします。
そんな千葉のプレイヤー達が「自分たちで広めの会場をとってオフ対戦会をやろう」と立ち上がったのが、題名になってる団体でした。

そして後を追うように各地で同じようオフが開催されるようになったわけで、やはり先駆者には畏敬の念を禁じ得ないと今さら改めて思うわけです。分かる人はそろそろみんなでリグはせ行きましょう。

11:公民館オフの限界

この頃はまだCasterなどというものはまだ世に出ておらず、殆どの人は対戦がしたければ週末の家オフに行くか、または自分が募集するしかないという状態でした(もちろん近くに住んでる身内と遊ぶ人もいたでしょうが)。
先にオフ対戦会、そのほとんどは公民館などの公共施設開催であり、PCの確保等は努力で何とかなっても、会場の広さまではどうにもならないわけです。そしてその頃の対戦会需要の多さと言ったら、オフ開催告知から10分で30人~50人クラスの枠が埋まるという圧倒的キャパシティ不足に悩まされる程のものでした。解決策はほとんどなく、せめてもの抵抗がPC所持者の最優先枠という状態でした。それでもキャンセル待ちや不参加は上等として前泊のみ遊びに行く(もちろん参加確定者が前泊でも優先でしたが)ほどの状態が、当時の対戦環境を物語っていたと思います。

12:オンライン時代到来と大規模大会

大規模大会と公民館オフをどう区別するかは微妙なところですが、Casterが生まれてオンライン対戦が可能になってからも、萃夢想においてはオフでの対戦活動が活発でした。これは先にオフでプレイをしていた人はオフ大会の参加を続ける一方、大会での実績やリプレイから高名となり、後からネット対戦で対戦を始めた人にとっても名前の知れた人が居るからという理由だったのではないかと推測します(帆波さんは先行組だったので、あくまで推測です)。一方でオンライン上がりの人も増え大会の規模がますます追い付かなくなってきたことから、とうとう大規模大会という発想が登場します。
しかし実行に移す人はおらず、その理由は当時の帆波さんが書いた内容をほぼそのまま大意を引用するなら

「大会の運営に時間・手間といったゲームモチベを奪われるため、対戦ガチ勢は運営側に極力回りたくない。しかし対戦ガチ勢じゃない人はそもそも大会を自分で開く必然性を感じないため、運営に回ることはない。では大会を開く人はどういう人なのか」

というジレンマがありました。最終的にはその部分を解決出来ないまましかしなんとか実行に移して大規模大会は開催されることとなりました。しかし、今でもこの部分については「対戦ガチ勢」という単語を他の単語におきかえて悩まされる部分が多く、明確な答えはでていません。

13:緋想天の登場、そして…

ここから後の萃夢想に関する話は、非想天則の頒布前後に言いたいことを言いました。
僕は消極的ながら時々はオン大会に参加したりしましたが、既に半引退状態だったと思うのでこの辺りからの状況は僕に書けることは殆どないと思います。

19:(番外)超個人的なこと

帆波さんの場合、大規模オフで知り合った人が同じ大学に通っていて、その後ぼちぼち萃夢想やら別ゲーやらを遊んでいる関係の人が出来たりしました。訳あって卒業1年前に当時借りていた家を出なければならなくなったときに、その人が住んでいる大学から徒歩1分のアパートを紹介してもらい、どっぷりと対戦したり他ゲーしたりという生活ができました。これも大会のお陰です。ありがとう萃夢想、ありがとう萃夢想大会運営者。

というわけで、Japan vs Westの配信を偶々見かけたのでそのままあてられて書きました。感想とかデマ書いてるぞ指摘とか罵詈雑言とかあればどうぞ@honamiまで。